鈍色 暗号

愛へと 昇る... 愛へと 成る。

30歳になりました(嘘)

1/9、快晴。これほどまでに突き抜けた青空を見たのは、一体いつ以来になるのだろう。日の出前に家を出て、日中のほとんどを会社で過ごし、日の入り後に帰宅する日々。休みの日はカーテン締め切りの部屋に引きこもり(しかも日中の大半を睡眠で浪費している)だし、たまに外へ出ても、このところは雨やら曇天模様ばかりだった気がする。とにかく今日の青空は、何か新しい事を始めるには絶好と、何か勝負事があるなら必ず上手くいくと、そう保証してくれそうな、背中を押してくれそうな、そんな様子をしている。容態が落ち着くまでは、夫婦2人の個室部屋なのだそうだ。その部屋で、私は待つことしかできないでいる。といっても心配するような内容のものではないから、特に何を思うでもなく、まさか夕方までかかる宣言に衝撃を受け(昼過ぎくらいだろうと聞いていた)、それまでの居場所が確保されていたことにホッとしている今である。ただし携帯の充電器を持参しなかったのでネットサーフィンに興じるわけにはいかず(充電器はiPhoneだろうがAndroidだろうが統一して欲しい)ならば手元の参考書をマスターせよというところだが、最近の寝不足がたたってそれどころではなかった。背後にはベッドがあるけれど、それは私のために用意されたものではない。なので机に突っ伏して仮眠を取ることにした。2時間の仮眠(といっても出入りが激しく熟睡には程遠かった。従ってよだれも垂らしていない)の後、過去問を順調に消化。仕事のメールがバカみたいに届いていたので、パソコンを開く。とここまでやってしまえば、メールチェックだけでは済まなくなる。ぼちぼち仕事をこなし、さあ勢いに乗ってきた!というところで手元のポケベルが鳴った。父が先に戻るとのこと。パソコンを閉じ、ロビーで待っていると父が運ばれてきた。「おとうさーん」と呼びかけると、ぼんやりした目と声で「おう」と返ってきた。呼びかけておいて何だけれど、意識があることに驚いた。30分後にはもうほとんど普通に話ができて更に驚き。術後というより寝起きというくらいの感じ。父が戻ってきたのは15時。この時点で予定時刻を1時間超過していた。でも順調に、問題なく進んでいるとは聞いていたので、母もかかってもあと2時間くらいだろうと思っていた。が、それは大きな間違いで、母が戻ってきたのはそこから5時間後。なんと20時を過ぎていた。父とずっと遅いね、心配だねと話していたけど、待っている時間というのは本当に長い。戻ってきた母は、目は開いているけど焦点が定まっておらず、ぼーっとしていて、そうそう術後ってこうだよなと思った。それから5分もすれば少し話せるようになっていて「遅くなっちゃったね、早く帰って」と言われたので帰ることにした。帰りのタクシーの中、無事に終わって良かったなあという安堵と、大変だったのはもちろん両親なんだけど、ほぼ半日待ち通しだった私も、充分にお疲れ様だったと自分で自分に言ってあげたくなるほどの疲労感に包まれていた。

ようやく家に着いて、待ちくたびれたであろう夫が作ってくれたご飯を食べた(食べずに寝ようと思っていたけど、ご飯、本当にありがたかった)。そして食後、夫が「頑張ったご褒美」と冷蔵庫から出した白い箱に入っていたのは...f:id:yukari_murasaki:20200110062937j:imageタカノの高級ケーキ...!

ずっと行きたかったいちごジャーニーの予約が1つも取れず(これ本当にいい加減にしてほしい。回線勝負なのか知らないけど、まともに繋がったこと1回もない)、毎年行っているニューオータニのあまおうビュッフェもまさかの苺食べ比べなしに改悪、苺イチゴいちごー!!!と発狂していたのを可哀想に思い、今日の慰労も兼ねてわざわざ並んで買ってきてくれたと。夫...優しすぎる...一見全部ショートケーキに見えるけど、実はそれぞれ味が違っていて、そして全部美味しかった。ありがとう夫。大好きだ夫。

それからお風呂入ったり、洗濯待ちながら運動神経悪い芸人見てアホほど笑って気絶するように寝落ちて4時間後、出勤。ハードすぎるえーん。でもあと2日行けばお休みなので、もう少し頑張る。ケーキでエネルギーチャージできたしね!

 

それじゃ今日はこのへんで。またこんどね。